お知らせ: Webサイトができました!https://d16e.com/
Status
Reading: 新しい中世*
Listening: もうやめたいよ - TANGINGUGUN
Watching: -
愛読している WORKSIGHT の記事 デザイナーが庭師になるとき:ダン・ヒルが語る「参加型まちづくり」の最前線は、Digital-gardening に大きなヒントを与えてくれました。
建築家ではなく、庭師のように考える。つまり、終わりではなく、始まりをデザインする。
これはアンビエント音楽を提唱したブライアン・イーノが、ストリートデザインのためにつくった原則のうちのひとつです。
この短い原則は、以下のことを示してくれます。
相手を自分に合わせるのではなく、自分が相手に合わせること
予測不可能な結果を想定し尽くすのではなく、始めること
準備に時間をかけるのではなく、観察に時間をかけること
完成を目指さないこと
良い庭師であるためには、こうした予測不可能性、コントロール不可能性に身を委ね、自分自身を相手に適応させ、常にアダプティブに対応しなければなりません。そこでは計画というものが、必ずしも意味をもたないのです。
予測不可能性という気味が悪く、緊張感をもたらす言葉は、庭というメタファーを使えば、雨や風、日照りといった気候や、蝶や蟻や小鳥といった生き物のようなものであると捉え直すことができます。
実家の庭には、母が大好きな薔薇が植えられているのですが、茶色に近い緑の蔦から薄ピンクの花びらが現れた時の感動は、予測不可能性の良い面でしょう。その香りは華やかなレモンのようで、その情報量に思考が奪われる体験を一緒に楽しめたことも良い記憶です。
一方で、以前の所有者が植えていた植物に実がなり、それが山葡萄であることがわかって味見をしたら、渋すぎて食べられたものでなかったこともあります。体験としてはよくありませんが、家族の思い出の一部となりました。
どれも計画して得られた体験ではなく、始めたことで引き起こされた結果です。
利用者が描かれず、物体そのものが主役であり、利用のたびにリセットが必要な建築物の思考。それに対して、強烈な花の香りや、味のひどい山葡萄さえも楽しむ面白さが庭師のように考えることにはあるようです。
手触りがあり、成長を目撃できる庭での体験は Digital-gardening においても、きっと予測不可能な何かを引き起こすでしょう。
- 虎🐯Tora
私たちが “もっているものでうまくやる” には、少しずつ自分の世界を広げ、自分自身を理解し、思いがけない組み合わせを試してみる必要があります。これらは、そのプロセスの様子です。📮質問・感想はこちらからどうぞ!
もっと楽しみたい方は 🎙️Podcast や 👾Discord に遊びに来てください!
🎧Apple Music でプレイリストも公開しています。
リンクに * がついているものはアフィリエイトリンクを使用しています。このリンクを使用して商品を購入すると、売上の一部が収益となり、このニュースレターの継続的な運営を支えます。アフィリエイトリンクによる価格への影響は一切なく、通常と同じ価格で購入可能です。

